室戸岬まで(序にかえて)
・・・・・・・・・著書「翔」(私の想)より
室戸岬までの行脚紀行にて
私は歩いている。室戸岬まで歩いている。
自分とは何か。 政治とは何か。
何のために政治家になるのかを、この身体で知りたくて歩いている。
そして自分自身の心の中に、強い信念を得るために歩いている。
空海のゆかりの寺で、静かに目をとじ合掌し、
ひたすら自分に問いかけてみた。
心の中のものをすべて捨て去り、純粋な心に戻り、
偽りのない無心の状態で心に問いかけてみた。
私は、いったい何をするためにこの世に生まれてきたのであろうか。
南国の暑い日差しのその中で 我が行く道を尋ね歩かん
暑き日の 流れる汗のひとしずく 心の底から溢れ流れる
野市 大日寺
山の上より土佐の海を見つめる。
やはり、土佐の海は青い。
遙か水平線の向こうに雲が巻き上がっている。
浜からの風に吹かれながら、この土佐にある素晴らしい自然と
自由を求める心を 感じている。
いつまでもこの土佐の海のように、
雄大でスケールの大きな考えを持ち続けたい。
人の世を知らんばかりの美しさ 太平洋の海の青さは
手結 月見山
松林の中を道が続いている。その道を何も知らずに歩いている。
ここに道があるのも、ここに家があるのも、そこに誰がすんでいるのかも、私は何も知らずに生きている。
ふと気が付けば、道端に白い花が咲いている。私がどこにいようとも、この花はひたすらに咲いて散ってゆく。その道を、何も知らずに私は歩いている。
どこまでも 続く松原 その道で そより揺れ知る 名も知れぬ花
和食海岸 琴ヶ浜松原
雨に追われて安芸の町を歩く。私はどうしても政治家になりたい。この命をおかえて、人のために尽くしたい。その覚悟はあっても、果たして何をすれば良いのだろうか。
恐らく死ぬまで努力をしなければならないだろう。それでもいいと思っている。
はるか遠くに岬が見える
室戸岬は、まだまだ遠い
安芸川橋
海沿いに波の音を聞きながら歩いている。眉間にしわをよせ、歯を食いしばり、汗にまみれて歩いている。痛む足を引きずるようにして、ひたすら歩いている。
人は苦しんでいるときの方が、ものごとを深く考えるものだ。苦しさを忘れれば、その気持ちが分からなければ人のために生きることはできない。だから、人のために生きるためには常に苦しんで、その人の気持ちを忘れてはいけない。いつまでも、今のこの苦しいときの気持ちを忘れてはいけない。
浜から風が吹いてくる。この世に風が吹く限り、波の音は聞こえてくる。
わが道を問えば寄せて返す波 あるがままにてなすがままにと
室戸まで 行く苦しみに 我を知る 流れる汗の滴るままに
大山岬
嶮しい遍路道を登っている。山の上の寺につくまでは休まない。
私は暑さと疲労でぼんやりとした頭のままで、ただひたすら遍路道を登っている。四国八十八か所、第二十七番札所、神峯寺。
昔、空海が修養のため苦行に修練を重ね悟りを開いた巡礼の道である。同行二人、いつのまにか一匹のアブが私についてくる。アブはしつこくつきまとい、いくら手で払っても走って逃げても、どこまでもついてくる。
多くの人を救うため、世の中のため人のために役に立つ人間になろうとするための修行の道である。
この身はどうなっても良いと覚悟しての修行である。しかし、私は今、この身に迫ってくるたった一匹のアブをもこの手で振り払てのがれ、逃げまどっているのである。アブはしつように私を追い続ける。私は必死で急な山道を登り、やっと神社の入り口で水飲場に逃げ込んだ。
アブは、その前の道路にたまった水溜まりに止まり、羽を休めた。私は一口の水を飲み、一息ついたところで、その水溜まりに止まっているアブに力一杯一撃を加えた。アブは腹を上にして苦しそうに水に浮かんでもがいている。私はさらにアブにとどめを刺した。アブはもやは動かなくなった。死んでしまったのである。
私はアブに刺される恐怖から逃れた。どうして殺してしまったのだろうか。多くの人々を救うために、この命を捧げると誓ったはずなのに。別にアブに刺されても死ぬことはない。ただ、自分を追い回すアブに刺されるのがいやなだけである。
生き物の命も、人間の命も同じ命なのに・・・・・・。
自分という人間は、自分本位で勝手な存在である。境内には、夏蝉の命の限り鳴く声が響きわたっている。突然、空から一匹の黒い揚羽蝶が舞い降りて来て私の手に止まった。人は快楽を求めて生きている。道が続けば車に乗り、飛行機に乗る。暑ければクーラーを買い、寒ければ服を着る。腹が空けば肉を食い、人間に害を与えるものはこの世から抹殺してしまう。果たして、それは善なのか悪なのか。それは智恵であるのか冒瀆なのか。
人はその英知をもって、この世を人間が住みやすいようにかえていっている。それは人が限りのない欲望を求め続ける生き物にすぎないからであろうか。そうやって、人間社会の文明というものを築き上げるのか。いかにすれば人として幸せになれるのか。同行二人、何かが問いかける。
み仏に わが道問えば 蝉時雨 命限りにないてはかなし
安田 神峯寺
仏像を拝む。静かに目を閉じる。
心のなかの思いを捨て去り、あるがままの純粋な心に戻って真剣に問いかける。自分の姿はどこにも見えない。浮かんでくるのは自分の行いである。
あの時は、あれで良かったのか・・・・・・。
あの時、ああすれば良かった・・・・・・。
あの人は今、どうしているのだろうか・・・・・・。
この肉体は年とともに朽ち果てる。しかし、自分の行いはいつまでも人の心に残る。そのままの姿で人の心のなかに自分の姿となって生き続ける。私の心は行動で伝わり、人の心に残された私の姿こそ本当の私自身なのである。静かに目を開ける。仏像の迷いのない顔が私を励ましてくれる。
室戸 金剛頂寺
室戸の町に入る。新しい港には遠洋マグロの船が停泊している。かっては、大漁旗の船の出入りでにぎわったこの町も、何か元気がない。しかし、そこに住む人の表情は明るい。堤防に出て話をしている町の人の会話に、その人々の暖かさを知る。この町に生き、この町で暮らすことが、ここの人たちには幸せなことである。室戸岬まで、あと少しである。
ゆっくりと まき寄る波に 身をゆだね ゆらりゆられる砂のひとつぶ
室津 津照寺
遂に来た、室戸の岬に。
海がある。キラキラ光る室戸の海が。太平洋のはるか遠く、水平線のかなたまで明るい海が広がっている。いままでの苦しみは、もうどこにもない。これから起こる人生に向けて、私に道を教えてくれるような、そんな室戸の海である。この海にこれから自分が進んでいく未来を見つける。私は本当の政治家を目指して、前だけを見て行きたい。本当の苦労はこれからである。苦しみは成長の種である。人は苦しみにどれだけ耐えられるかによって、その人の大きさを図ることができる。人のために尽くす。そしてどんなことにも耐えられるような強い人間になりたい。夢みたいなことを言うなと人は言うかもしれないが、私はそのために生まれてきたのだ。本当に人の為に尽くすことのできる政治家を目指して、ここから私は歩きはじめる。
青き海 室戸の高波 塩の音 わが行く道の心にきざみて
黙々と 磨甎(ません)の姿そのままに 人の心を求めて生きる
1985年8月12日 室戸岬
第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺