憲法記念日によせて

日本国憲法は74年前の今日、昭和22年5月3日に施行されました。 この憲法は制定以来、未だ一度も改正されておらず 、世界で最も古い憲法と言われております。昭和20年8月15日正午、天皇陛下は、ポツダム宣言受諾と全軍の戦闘行為の停止を表明し、臨時閣議で、大本営は大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍に、8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令しました。9月2日、ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われ、終戦を宣言、平和的な傾向をもった責任ある政府が樹立された場合に占領軍を撤収すること約束して、GHQの占領統治がはじまりました。日本軍は各地で武装解除が行われ、11月 に陸軍省・海軍省を廃止解体、第一復員省・第二復員省となって復員、帰国作業が行われました。10 月 4 日に「自由の指令」が出され、「内務大臣らの罷免、思想・言論規制法規の廃止、特高警察の廃止、政治犯の釈放等」が要求、東久邇宮首相は辞職し、10 月 9 日幣原喜重郎内閣成立、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を10月25日に設置しました。12月8日、「松本四原則」の憲法改正の基本方針を出し、宮沢俊義東大教授が「憲法改正要綱」に基づ「憲法改正案」(乙案)をまとめ、同時に民間の憲法研究会が「憲法草案要綱」をまとめ、12月26日 、天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など日本国憲法の根幹となる基本原則を発表し、GHQ内部の憲法改正のスタッフも強い関心を寄せるものとなりました。1956年2月1日、憲法問題調査委員会試案が毎日新聞にスクープ、マッカーサー元帥は「保守的、現状維持的なものに過ぎない」と激怒。2月3日、マッカーサーは、憲法改正の必須要件(マッカーサー三原則)をホイットニーに示し、「国の主権的権利としての戦争は廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争および自己の安全を保持するための手段としてさえも戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる日本の陸、海、空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍隊に決して与えられない。」と「自己の安全を保持するための手段としてさえも」(“even for preserving its own security.”)と、自己の安全を保持するための手段としてさえも戦争(=自衛戦争)をも放棄することにしていました。しかし、GHQのケーディス氏は「これは現実的ではない。もし日本が攻撃されたならば、自国を守ることができなくなる。どの国にも自己保存の権利がある。1928年のパリ不戦条約にある。パリ不戦・戦争放棄に関する条約」の1条には、「締約国は、国際紛争を解決するため、戦争に訴えることを非とし」とあるが、そこでの戦争放棄は国際社会では「侵略戦争の放棄」であり、「自衛戦争」まで否定するのは「現実的ではない」としてマッカーサー指示を一部削除し、憲法草案の作業を進めました。2月13日、ホイットニーは、松本国務大臣、吉田茂外務大臣が提出した要綱を拒否し、政府にGHQ草案が手渡され、2月22日の閣議で、GHQ草案に沿う憲法改正の方針が決定し、GHQと確定案作成の協議、3月6日、「憲法改正草案要綱」として発表、4月17日、「憲法改正草案」として公表。7月23日、修正案作成のため小委員会が設置。 日本共産党は9条での条文では、自衛ができないと反対8月20日、小委員会は各派共同により、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を追加する、いわゆる「芦田修正」などを含む修正案を作成。8月24日には、衆議院本会議において賛成421票、反対8票で可決。8月26日の貴族院本会議に上程、小委員会で「文民条項」 の挿入などGHQ側からの要請4項目を修正10月6日、貴族院本会議において賛成多数で可決。7日、衆議院本会議において圧倒的多数で可決された。「帝国憲法改正案」は、10月12日に枢密院に再諮詢、10月29日に2名の欠席者をのぞき全会一致で可決。「帝国憲法改正案」は天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布、5月3日に施行されました。国会審議のポイントは、衆議院の芦田修正であり、9条の1項と2項の間に、「前項の目的を達するため」を挿入しましたが、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない」ということになれば、あくまで侵略を目的とするために戦力を保持しないことになって、自衛のためならば、保持が可能になるというようにしました。芦田均氏は、この修正を、「第9条の規定が戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合であり、侵略戦争である。したがつて自衛のための戦争と武力行使はこの条項で放棄されたのではなく、侵略に対して制裁を加へる場合の戦争もこの条文の適用外であり、戦争そのものが国際法の上から適法と認められているのであって、1928年の不戦条約や国際連合憲章においても明白に規定しているのである。亅1950年、朝鮮戦争が起きると、日本にいる米軍のほとんどが朝鮮半島に出ていったため、治安維持のために警察の別部隊として、旧帝国陸海軍の兵員を募集して編成し、警察予備隊が作られました。朝鮮戦争は3年の激戦を経て1953年7月、休戦協定。国連軍に参加した部隊が日本に戻ってきて日本に駐留する根拠として、「朝鮮国連軍地位協定」が1953年の休戦の翌1954年に結ばれ、12か国の協定参加国の部隊が国連軍地位協定に基づいて在日米軍7つの基地が使えるという状態にしました。朝鮮戦争が始まったとき日本は自衛権行使の権限と手段がなかったが、1951年9月8日、日本はサンフランシスコ講和条約に署名、主権を回復しました。同時に日米安全保障条約を締結しました。これは、対日占領軍は条約発効後90日以内に日本から撤退することになっていましたが、旧日米安保条約で、日本はまだ戦争の危険が周りにあり、日本には日本の国家を防衛する有効な手段・防衛力がないので、アメリカが日本および米国の安全保障のために、日本及びその周辺に駐留することを認める(日本を守るとは書いていない)日米両国の安全保障のために米軍が日本およびその周辺に駐留することを可能にする条約を結びました。旧日米安保条約の前文には、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、日本は、在日米軍(1956年編成)駐留によって、日本の国家の安全を維持しようとしたわけですが、そのときに日本は西側同盟つまりアメリカとの同盟の中に入るという選択をしたのです。「吉田ドクトリン」は、日本の戦後復興を可能にするため日本の持っている全ての資産を経済復興に充て、国家の防衛を駐留軍に依存して日本の安全を維持するという選択であり、これは英知の賜物であって、戦後の復興、世界の奇跡と言われる日本が戦後復興を成し遂げた最大のカギは「吉田ドクトリン」にあり、その根拠が旧日米安保条約でありました。しかし、この条約は不平等条約で、条約には米国が日本を守るということは一言も書いてなく、ただ「アメリカは日本に駐留することができる」と書いてあるだけでした。1953年に朝鮮戦争が終わって、日本はいよいよ、旧日米安保条約とサンフランシスコ講和条約に基づいて駐留軍が90日以内に日本から撤退するということになっていたので、日本は自らの防衛力を持たないといけないということになって当時、警察予備隊の後にできた保安隊になり、航空自衛隊がなかったので、これに新しい航空自衛隊を加えて1954年に自衛隊法画できました。自衛隊は何の装備もなかったので、米軍は「MAP」という無償協力をやって朝鮮戦争で使った兵器を日本の陸海空自衛隊に供与しましたが、陸上自衛隊にはM1ライフル、海上自衛隊は、米海軍の艦艇と上陸用舟艇が供与され、空軍は朝鮮戦争で使ったF-86F,F-86Dという、MIG-15 ,MIG-17 などと空中戦を戦った第一線の戦闘機が供与され、自衛隊は全てアメリカ軍のお古をもらって自衛隊の陣容が出来上がっていっきました。そもそも、日本国憲法で、自衛隊や在日米軍の駐留が認められるかどうかは、日米安保条約や自衛隊が創設されて、国会でも与野党で激しい憲法議論となっていました。昭和32年7月、東京都砂川町(現立川市)の駐留米軍使用の立川飛行場の拡張の測量に反対するデモ隊が基地内に侵入し、これが刑事特別法2条(米軍が使用する施設または区域を侵す罪)に問われ起訴されました。第一審では、駐留米軍は、9条2項違反であり違憲であるとしましたが、検察官は最高裁へ跳躍上告し、昭和34年12月16日、戦後唯一の最高裁判所による安保条約や自衛隊の存在についての判決が行われました。この判決文では、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。憲法9条2項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」としています。この判決では、安全保障条約は、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない故、違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、なじまない性質のものであり、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、条約の締結権を有する内閣と承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とするとしています。また、田中耕太郎裁判長の判決は、わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない。この判決は直接的には外国軍隊の日本国内への駐留の合憲性について判断したものである。「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」とし、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」と結論している。ただし、本判決は、駐留米軍に関する事案であったこともあり、日本独自の自衛力の保持について憲法上許容されているか否かは明らかにしていない。砂川事件最高裁判決の判決文は憲法9条2項について「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」と述べている米国駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつて、あたかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかで、この軍隊は~同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり~極東における国際の平和と安全の維持に寄与し~その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならない~かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効があることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。というものでありました。自分でやらなければという意識で、不平等条約であった旧日米安保条約が1960年に安保改定がされ、アメリカが日本を守るということを条約上の義務に入れる非常に厳しい交渉をやって、1960年に安保改定を実現させました。これに反対した学生が運動を起こしたのが「安保闘争」でありますが、安保闘争は当時の若者のナショナリズムであり、彼らは、安保条約の中身を知らず、読みもせず、この条約に署名して日本は米国の属国になってよいのかという戦後の国家意識が彼らを駆り立てました。この安保条約は、5条と6条に、「締約国は日本の施政の下における領域に対するいずれか一方に対する武力攻撃は、自国の平和と安全に対する危険であると認め、憲法上の規定及び手続きに従って、共通の危険に対処するよう宣言する」と、日本の施政の下にある領域、日本の領土、領空、領海に対する武力攻撃があった場合、日米は共同して守るということが書いてます。アメリカは個別的自衛権と集団的自衛権を共に行使でき、同盟国日本が攻撃をされたら、集団的自衛権を使うこともできます。しかし、例えば、日本領海の中にアメリカの艦艇がいて、それが攻撃を受けた場合には日本の領域・領海の中ですがアメリカは個別自衛権も行使できますが、日本の領域に対する攻撃ですから、アメリカは集団的自衛権も行使できる。従って、アメリカは安保条約5条に基づく日本防衛の義務を条約上、負うということになります。一方、米軍が日本の領域の外は、日本の施政の下にある領域に対する攻撃ではないので、安保条約上アメリカは日本を守る条約上の義務を負わないが、日本の領域の中にある米国艦艇が攻撃を受けた場合、日本の施政の下にある領域が他国から侵略されているわけですから、日本の主権が侵され、日本は個別自衛権を行使してアメリカと一緒に守る事になります。しかし、アメリカの艦艇が日本の領域の外にいたら、もはや日本の施政の下にある領域が攻撃されているわけではないので、アメリカは集団的自衛権を行使できますが、日本は行使できないので、日本は、米艦艇を守れません。アメリカは日本の領域の中にいようがいまいが日本の施政の下にある領域が攻撃された場合は日本の防衛義務を負うのに、日本は、日本の領域の外にアメリカがおれば、アメリカが攻撃をされても日本は集団的自衛権を行使できないので、日本はアメリカ防衛義務を負わないことになってました。これは安保条約上、不平等条約であるという性格を、条約上の成り立ちからいうとそうである。その後に日本の経済力がどんどんと大きくなって、アメリカから出てくる不満、「フリーライド」、「安保タダ乗り論」つまり安保条約によってアメリカは一方的に日本の防衛義務を負うが、日本は負わないという不平等な条約で日本は経済復興し、アメリカのいろいろな財を買うような経済力を持ってくるようになった。トランプ大統領が言うように、不平等じゃないか、安保タダ乗り論という不満がアメリカの中に出てきた原因をつくったのです。しかし、2016年の平和安全法制で存立危機(我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態)に際しては、防衛の対処措置可能になり、重要影響事態や共同訓練や警戒監視などの共同行動の米艦護衛の要請があれば護衛することが可能となりました。安保条約の第6条には、5条によってアメリカが日本を守る防衛義務の見返りに、在日米軍、陸海空軍が日本の施設・区域を、「日本の安全に寄与し極東における国際の平和と安全の維持に寄与するために」使用することができる、つまりアメリカは日本の安全のためだけでなく、極東の平和と安全のために、日本の施設・区域を使用することができる、その実施を行なうために必要な「日米地位協定」を安保条約6条に基づいてアメリカと締結し、在日米軍の地位と特権、特殊な在日米軍の地位を認める地位協定を締結した。これは、アメリカへのメリットで、アメリカは安保条約第6条と地位協定に基づき、日本だけでなく、極東の平和と安全のために日本に米軍を駐留、日本がそれを担保するために冷戦時代から米軍基地のための問題解決のため政治的経済的コストを払い、日本は、、日米ホストネーションサポートとして、在日米軍が駐留することに係る政治的・経済的負担を分担してきた。常にアメリカの兵器を日本は買い続け、防衛協力ガイドライン、共同作戦計画をつくってアメリカに協力し、共同訓練を行い、地位協定の運用に苦しみ、米軍の事故を処理し、国外ではアメリカが世界中で行っているいろいろな安全保障協力、例えば中東やエジプト、あるいはアジア諸国に対する経済協力を日本が分担し、国連で通したいろいろな決議に日本はアメリカと全く別の票を投じたことは一度もありません。日米同盟に基づいて日本はアメリカとの協力を進めてきた最大の根拠なるものが、この日米安保条約とそのもとにあった地位協定であります。今日でも日米安保条約に基づいて米軍が駐留し、アメリカは現在134万の兵力を持っていますが、うち海外へ21万の兵力を展開、最大兵力は日本で5万4000人。韓国が第2位、第3位がドイツ、圧倒して日本に兵力を置き、これを地位協定によって自由なアクセスを日本に提供、日本が必要なコストを払い、インド太平洋におけるアメリカの国益を維持してきた。自衛隊が1954年にできて、徐々に日本の防衛力が日本の経済力と同時に、アメリカが、あくまで安保条約というのは暫定的な手段として日本を安保条約上守るということでありますけれども、安保条約上はいま申し上げましたように片務的な条約義務を負っていたので、できるだけ片務性をなくすため平和安保法制で、これによって制限された集団的自衛権を行使できるようになった。このことによって今日アメリカが日米安保条約上の不平等性をほとんど口にすることはなくなりました。三次にわたるアーミテージレポートでもそのことが書いてありましたが、今、アメリカの人と話すと安保条約が片務性だという不満を日本人に向かって言う人はいなくなりました。自衛隊はアメリカ軍によって助けられ、兵器をいただいて育っていったが、日本として、日本の経済力がどんどんとできるに従って当然のことながら主権国家として自らの防衛力を整備しないといけないということなので、「防衛力整備計画」を複数年度で順繰りにつくっていきました。冷戦が終わりソ連が引き、中ソ国境は2500キロ、ソ連軍9万人。中国軍は陸軍130万を100万に削減、脅威は北から南へ、中国が海洋に出てきたのはその余力ができたからです。陸上国境は1ミリでも越えると国境紛争になりますが、海洋に出てくると南シナ海で見られるように、いくら島をとったって国際法を無視したら何でもできるという中国風の領土拡張政策を海洋進出によってやってきた。我々は今、様々な脅威に直面しています。ロシア、冷戦後の中国に対応する米国から武器を購入する有償軍事援助(FMS)契約が安倍政権下で急増し、その支払いが後年度の財政を圧迫するようになリました。背景にトランプ米大統領からの武器購入圧力があり、FMS契約の予算額は19年度に7013億円まで膨らみ、20年度も4713億円が計上され、航空機発注の部品購入の価格も法外に上がっています。その他のFMS契約を突出させた大きな要因は、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」導入決定も米側との契約だけが先行しています。防衛装備の開発・調達には時間がかかる。10年先を見通した戦略的・体系的な防衛力整備が求められるのに、アメリカへの過剰な配慮がそれをゆがませています。北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の台頭でアジア太平洋地域の安全保障環境が厳しさを増しており、米国はさらなる軍事負担を同盟国に求めてくるだろう。アメリカは自分の足りないところを日本に期待し要求して来てきます。同時に、アメリカはアジアに十分にその能力と拠点を持っていなかったので、アメリカ軍が極東で活動するに必要な能力のうち足らない部分であるミサイル防衛や対戦哨戒機を日本に補わせて、日米で共同作戦を行いました。しかし、米国から武器を購入する有償軍事援助(FMS)契約が急増し、その支払いが後年度の財政を圧迫するようになっています。背景にトランプ米大統領からの武器購入圧力があり、FMS契約の予算額は19年度に7013億円まで膨らみ、20年度も4713億円が計上された。 19年度のFMS契約を突出させた大きな要因は陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」だ。導入決定を急いだにもかかわらず、配備地を決定できないまま、米側との契約だけが先行しています。防衛装備の開発・調達には時間がかかる。10年先を見通した戦略的・体系的な防衛力整備が求められるのに、トランプ政権への過剰な配慮がそれをゆがませている。北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の台頭でアジア太平洋地域の安全保障環境が厳しさを増しており、米国はさらなる軍事負担を同盟国に求めてくるだろう。我々は今、日本の防衛力をそういう考え方でなく、日本にとって主に必要な防衛力を日本みずからが整備をし、足らない部分をアメリカに補わせるという、防衛力整備を真剣に考える時期に来ています。宇宙とかサイバーとか、日本に協力を求めてきているのは、アメリカが自分たちで全てのことが出来ないので、どんどんと近代化され、外洋へ出てくる中国に対抗するため、日本だけではなくてインドや豪州の力を使って、「クリーンネットワーク」、自由とか民主主義などのイデオロギーや価値観を共有できる国の大きな連合体をつくることによって新しい同盟の姿を成してゆく、防衛力をこの中で考えなければならないような状態が起こっています。太平洋とインド洋を結ぶ地域で、法の支配や市場経済を重視する国が協力する構想は、地域の平和と安定、繁栄に貢献し、経済と安全保障の両面で連携をめざす。日本や米国、オーストラリア、インドが中核となります。中国の海洋進出を念頭にアジアと中東を結ぶシーレーン(海上交通路)を守る狙いがあり、日米豪印の防衛協力は近年活発で、日本も3カ国と海上での共同訓練を重ね、地域内の途上国の能力構築支援としてフィリピン、インドネシアなどで巡視艇供与や人材育成が必要です。安全保障面でも、中国で海警局を準軍事組織に位置づける海警法が2月に施行された。尖閣周辺の領海に海警局の船が頻繁に侵入し、中国が「核心的利益」と主張する台湾に侵攻するリスクも指摘されています。尖閣や台湾で有事に発展した場合、備えは十分かシュミレーションが必要です。日本は04年、有事の住民避難や救援の手続きを規定する国民保護法を制定しましたが、国民は政府の要請に「協力するよう努める」とではなく、「強制にわたる亅ことが必要です。有事になれば自衛隊は武力攻撃と国民保護の二正面作戦になる。自治体との調整に手間取れば対処が遅れるものであり、指示や命令で住民避難などを迅速に進めるには緊急事態条項が必要です。ドイツは武力攻撃などを受けると、議会が「防衛事態」と認めれば大統領が布告し、移動の自由や財産権を制限できます。自衛隊は、国際法。国連憲章、サンフランシスコ条約、旧日米安保条約と新安保条約、そして地位協定、それから日本の平和安全法制。法律の中でどのように位置づけられて日本の安全と国家の防衛が担保されているか、これをきちっと踏まえ、それでも駄目なときは法律改正、そして自衛権行使を明確に規定する憲法改正が必要です。空理空論ではなく、任務達成が第一であり、日本が常に置かれている安全保障環境の中で、脅威をどういう定義にするか、日本の平和と安全を侵す主体というものに対して我々は適切に対応できるようにしていかないといけません。1つの国だけで自国の安全を完全に守れる国は自由主義国ではない。オーストラリアでも多国間の同盟条約を結びながら国家の安定を維持しています。置かれた環境の中で常にベストの選択をしながら国家の防衛と安全を維持していくため、アジア版NATOのような集団安全保障や集団的自衛権の機構を作る構想も必要です。75年の歴史を踏まえながら、これからどのような未来を展望しつつ国家の防衛を考えなければならないのか、現実の国際環境の中で具体的に政策として憲法改正議論をする必要があります。国会では国民投票法の採決が行われる見通しが出てきてようやく本格的な憲法議論ができるようになりました。5月6日、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案の衆議院委員会での採決ができれば、新型コロナウイルスの感染拡大や沖縄県尖閣諸島周辺の緊張の高まりを受け、緊急事態、自衛隊の存在と危機管理の論議をする必要があります。緊急事態条項は「国家緊急権」の思想に基づく。災害や戦争で国家の存立が脅かされた場合、全体の利益のため個人の権利を抑制できるようにする。現憲法に明確な規定はなく、新型コロナ拡大で機運が醸成され日本は米欧で実施される都市封鎖(ロックダウン)などと異なり、行政の強制力や罰則を抑制しながら感染対策に取り組んできた。1995年の阪神大震災や2011年の東日本大震災でも災害対策基本法など個別法に基づき対処しましたが、あくまでお願いや依頼、勧告が精一杯で命令や強制措置ができるようになっていません。かつてハンセン病の患者を強制的に隔離したり、戦前の軍国主義のもとで思想の自由など個人の権利を制限したりしたり、憲法11条は基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と保障する反省があり、権利の制約に慎重になるゆえんだ。でも、自由や人権を一時的に制限する公共の福祉に対す厳しい措置をとるケースも必要です。フランスは生活必需品の買い物など政府が認めた目的以外の外出に罰金が伴い、違反を繰り返せば禁錮刑となる。英国も新型コロナを機に罰則を設けています。日本は、法律に罰則を創設したものの私権の制限には踏み込んでおらず、必ずしも期待したほどの感染者減少につながっておりません。今ほど憲法改正の議論が必要な時はありません。