アフガニスタンから米軍が完全に撤退で、2001年911同時多発テロ事件から20年の米国のテロ対策作戦が終了しました。ニューヨークの民間旅客機テロで3000人が死亡、25,000人が負傷、24人の日本人が犠牲になり、テロリストという新たな脅威に備える時代になりましたが、当時、私は防衛庁長官で、日本が戦後初めて集団的自衛権による多国籍軍のテロ戦争に参加して支援するための「テロ対策特別措置法」を成立させ、インド洋に海上自衛隊艦艇を派遣しました。この支援活動は「不朽の自由作戦」の海上阻止行動(OEF‐MIO)と呼ばれ、テロリストの資金源となる麻薬などの海上輸送を阻止する多国籍軍の艦船に燃料補給を行う活動として評価されました。タリバン政権が崩壊後は、アフガニスタンでの人道分野での復興支援と治安の回復を支援の「車の両輪」として担い、積極的に取り組んできました。地方復興チーム(PRT)と「武装解除、動員解除、社会再統合」(DDR)プログラムを実施し、NGOがリード国として除隊兵士の社会復帰、農業、教育、保健・医療、女性の地位向上、インフラ(カブール空港建設)の支援をしました。また、警察官養成、識字教育・訓練、女性警察官の訓練支援、地雷対策、水・衛生環境改善も実施し、治安の安定や教育や雇用安定に大きな貢献をしています。日本の大学へ留学生としてアフガニスタンの行政官、学生が奨学金によって学び、帰国して高い技術を身につけて祖国建設の発展のため働いていました。国連アフガニスタン支援団(UNAMA)のトップは、山本忠通氏が務めており、140名の日本人の文民とNGOが、現地住民の協力によって援助の実施に携わってきました。アフガニスタンの復興について二人の名前を忘れてはいけません。一人は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の緒方貞子さん、東京でのアフガニスタン復興支援会議の共同議長を務め、JICA理事長時代も含めアフガニスタン支援に高い意欲を示しました。もう一人は、ペシャワール会の中村哲医師で、「百の診療所より一本の用水路」という信念で(NGO)「ペシャワール会」を立ち上げ、大規模な灌漑施設を建設し、農業の収入安定のため、ひたすら農業基盤整備に努めましたが、麻薬密売は、タリバンの収入源でもあり、ケシの栽培をする人員が少なくなれば、タリバン兵を養えないことになり、日本の農業支援は、タリバンの収入源を枯渇させると恨まれ中村医師は暗殺されたのです。それでもペシャワル会は、現在も、約100人の現地スタッフが活動を続けていました。●忘れてはならないのは、アフガンの復興発展のために、多くの人々が凶弾に倒れ、殺害されました。また、多くのアフガン人がリスクを帯びて、国連や国際国家に協力支援してくれたことです。多くのNGOは、地道な支援を続け、対立する各派との橋渡しをし、アフガニスタンの人々の日本に対する印象は決して悪くありません。現在、そのような方々が、命を奪われる恐怖の中にあって、国外に退避したいと日本政府の救援を待っています。カブール市内には、日本の支援事業に協力支援してくれたアフガニスタン人と家族の多くがとり残され、国外退避と日本への永住を求めています。●今後、政府に求めることは、① 大使館・JICA のアフガン人スタッフ(退職者を含む)、現地 NGO のアフガン人スタッフ(退職者を含む)、留学経験者に対し “家族を含めて”緊急退避させる措置を継続。② 本人の意思と身元保証のみで「命のビザ」を発給する措置(既存の米政府の特別ビザと同じ)を早急に講じること。パキスタンを中心とする周辺国政府に対し、日本の「命のビザ」保持者の陸路・空路での受け入れが可能となるよう早急に調整すること。③ アメリカ・NATO 諸国と緊密に連携し、救出を待つアフガン人とその家族の安全確保と出国支援について、人道的観点から粘り強くタリバンと交渉を続けること。④「命のビザ」保持者と家族が日本に定着するために、在日米軍基地の利用も視野に入れたコロナ対策を講じた最初の受け入れ態勢や当面の住居と医療費を含む生活の保障、職業訓練、語学訓練等、生活維持に必要な支援を行うことです。日本としては、アフガニスタンの安定が国際社会の平和と安定にとって、極めて重要であると認識しており、今後は、各国と緊密に連携し、国際機関などの人道支援要員の安全確保が不可欠です。また、タリバンがテロ組織との関係を断ち切ることが不可欠で、国際社会が一致してタリバンに周辺諸国を含む国際社会が連携して対応することが重要です。現地に残る邦人、大使館やJICAの現地職員などの安全確保や必要な出国支援のため、引き続き全力で対応し、自衛隊機が撤収された以降も、現地の情勢を見極めつつ、外交というステージで、我が国としての真心のこもった支援を推進していかねばなりません。