9.11

2001年の9:11テロから20年 本日の朝日新聞のインタビュー記事中谷元・元防衛相「さらなる法整備も必要」同時多発テロが起きた後、防衛庁で長官としてテロと戦うと宣言した。首相官邸での会議では在日米軍基地を自衛隊が守れるようにすべきだと主張し、法改正がされた。神奈川県の横須賀基地を出港する米空母には通常の警戒監視活動として自衛艦が随伴した。 自衛艦の随伴は防衛庁で私が出た会議で決めたが、もし、米空母が攻撃されても手を出せないという問題があった。後に私が防衛相になった時に成立した安全保障法制で、日本の防衛に資する活動をしている外国軍艦を守れるようになり、米側から感謝された。 テロとの戦いでは特別措置法を作って、自衛艦がインド洋で多国籍軍に給油をした。安保法制にはこうした活動に関する恒久法も含まれ、国際平和を脅かす事態が起きた時に、自衛隊派遣に向けて各国との調整を迅速にできるようになった。 どの国も一国で自国を守れない時代に、日本が初めて海外の戦争に自衛隊を送ったきっかけが同時多発テロだった。「非戦闘地域」での活動という制約は安保法制でも続くが、米軍が中東から退くなかで、日本が国際平和のために何ができるか。今回、アフガンへの自衛隊機派遣が遅れた反省をふまえ、破綻(はたん)国家から自国民や現地スタッフを救うため、さらなる法整備も必要だ。 ただ、安保法制の審議では自衛隊にどこまでやらせるかの議論が、突き詰めると、自衛隊をきちんと認めるかどうかの食い違いから平行線に終わった。自衛隊は国防に寄与する存在で国際貢献はこういう範囲、という国民的合意を得るために憲法を改正し、いざという時に自衛隊が速やかに動けるようにしておくべきだ。福田康夫・元首相「湾岸危機、対日評価は散々だった」 同時多発テロへの対応は、1990年の湾岸危機を抜きに語れない。衆院議員に初当選した年で、米国主導の多国籍軍を自衛隊が支援する法案が廃案になった。じゃあ何ができるかと思い悩んで駐日米大使館の幹部にも意見を聞いたが、「日本が自分で決めること」と素っ気なかった。対日評価は散々だった。 そのことがトラウマになっていたので、小泉内閣の官房長官の時に同時多発テロが起きるとすぐ行動を起こし、政府方針の取りまとめに動いた。アフガニスタンを拠点とするテロリストを封じ込めるため、自衛隊がインド洋で多国籍軍に給油するための新法も作った。自衛隊の海外派遣に慎重な与党幹部らの意見も聞きつつ、事を早く進めた。07年参院選で自民党が敗れた後で首相になり、「ねじれ国会」で野党に給油継続に反対された時には苦労した。それでもこだわったのは、国際貢献を通じて日米関係と国際社会の関係を保つことが大事だからだ。アフガンの陸上に部隊を送らなかったが、日本の給油活動は米国だけでなく多国籍軍への参加諸国からも高く評価された。コストも年数十億円でほかの方法に比べれば安上がりだった。 給油継続のため民主党との連立政権まで考え、07年に小沢一郎代表と会談したが、民主党内の反発で破談になった。会談で小沢さんは、持論の自衛隊海外派遣の恒久法ができれば党内左派を説得しやすいと言っていたが、結局民主党は聞く耳を持たず、破談になった。 何十年と続いてきた良好な日米同盟は、極めて大事だ。私が首相の時には日中関係も大事にした。これからの日本は、米中共存を支える外交戦略なしに立ち行かない。