この憲法は、日本に『自由、平和、人権』の理念を根づかせましたが、個人の権利が強く、緊急事態での国家の権限や防衛の責務、国民の義務が明確に書かれていません。
自衛隊がそうです。未だに国を守る自衛隊が憲法違反とか、違反でないという議論がありますが、もう、いい加減な解釈はやめましょう。国民的議論を行い、国民が納得できる明快な文章を国会で発議し、国民投票にかけるべきです。
私は、5年前の平和安全法制の国会議論の時、法案担当大臣でしたが、「この法律は憲法違反だ」との質問に、2424回答弁に立って、国家が存立するために必要な自衛権があることを丁寧に説明しました。しかし、未だに、『憲法違反』とか、『戦争法案』だと言う人がいますが、これは、70年前の憲法制定時の考え方を引きずったままの議論です。だったら、国会で憲法議論をすべきです。
9条に関しては、9条1項は、『侵略戦争をしない』という国際社会の常識なので残せばいいですが、9条2項の「いかなる軍備も持たない」という規定は実際から乖離しており、できもしないことであって改正すべきです。
どの国も国民を守るのが基本的任務であり、自衛はしっかりやると言うべきですが、『自衛のための戦力すら持たない』と解釈しうる偽りの規定を残した9条2項というあいまいな条文のままでは、国民に国家の防衛や自衛隊存立の意義が伝わってきません。
30年前に、私が国会議員になった時、宮沢内閣がPKO(国連平和維持活動)協力法の議論をしましたが、当時の社会党は、牛歩戦術や全員が辞表を書いて抵抗しました。国会論争も「ダメなものはダメ」というだけで、国を守ることや国際社会に自衛隊や安保で関わる話は議論すら許さないという思想が日本にはあります。それで、国民の命や国家が守れますか?
『私権の制限、国家統制はだめ』『国家が秘密を持てば、ものが言えなくなって、映画も作れなくなる』、『個人情報保護法も役場の情報使用は住民登録のみ』で、マイナンバー(住基カード)の活用は、制約だらけで、情報社会での活用ができてなく、住基ネットが意味あるものとなっていません。
これらの問題は、この73年間、幾度も繰り返されてきた憲法議論の歴史ですが、憲法の古い解釈は、日本の進歩や国際競争力を妨げてきました。
憲法解釈の幅があって、曖昧にしてきたことも、裁判で憲法違反が出されれば実行できず、枝野氏の主張は、国家を危うくするものであります。急速に変化する世界のなかで、日本社会が対応できず、取り残されたものになってしていまっている現行憲法で曖昧になっていることが『できるのか、できないのか。どこまで強制でできるのか。』与党側の問いかけに応じて、国会の憲法審査会で明らかにするため質疑することは、野党の責務でもあります。国民からも、国家の危機に適切に機能させることができるような憲法改正を求めることも、憲政の常道であり、大きな声を上げなければなりません。
● 具体的な改正点
今、新型コロナウイルスの流行で「国家緊急事態」の状態であり、非常時への備えを定め、国会で特措法や憲法のあり方に踏み込んで論議を深めるべきです。いざという時に役に立たない法律を作っても意味がありません。
世界中で「緊急事態への対応」が憲法上規定されていないのは日本だけであり、これは、明らかに憲法の欠陥であり、不備な所と言えます。
自由は平時には尊重されますが、全体の生存が問われる『緊急時は国民の協力が不可欠』です。『国権の発動において、国民への要請や協力』を得られないのでは、国民を守れませんし、罰則も補償する規定も必要です。
多くの国は、国防に備えて緊急事態条項を作ってきましたが、今後は、自然災害への対応に加えて、サイバー、テロ、電磁波攻撃、宇宙、環境、病原菌など新たな分野が出てくるため、「想定されません。」「今の憲法で読めますよ。」だけでは通用しません。
新型コロナウイルスも突然起こりましたが、憲法の緊急事態規定や緊急事態の基本法がないの心配です。また、内閣の危機管理体制で行政の縦割り排除や機動的な人材の登用を可能にする体制の整備で、専門的能力のある人を政治的な意思決定に生かして、危機に対処できることが一番重要な問題です」
感染症は伝染すれば死に至る病であり、発病した人が、自由に行動すると、どんどん感染が広がってしまうので、疑いのある者を制限し、市民が感染が接触する機会を厳しく抑制しなければなりません。
ところが、パチンコ店が休業要請しても営業したり、PCR検査陽性で軽症で、医療待機場所から勝手に自宅に帰ったり、中国から帰国した人が、経過観察を無視して、自宅に帰り、家族を感染させたという例もあります。これも、今の法律で、強制力をもって禁止できるものでなく、罰則がかからない要請や指示にとどまっているから、徹底ができません。
● 国会の憲法審査会で憲法質疑を
緊急事態宣言を1ヶ月延長して、さらに国民に自粛、感染防止をお願いすることになりましたが、この緊急事態への対応を憲法でどう考えるべきか議論すべきです。
本日、安倍総理は憲法記念日に、「緊急事態における国家や国民の役割を、まずは国会の憲法審査会の場で、じっくりと議論を進めていくべきだ。」と述べました。
これに対して、枝野幸男氏は、「明らかな事実誤認だ。現行憲法の制約で、やるべきことができないということは全くない。国民の権利は憲法上『公共の福祉』により制約を受けている」と説明し、災害対策基本法に強い私権制限が規定されており、緊急事態への対応は憲法を改正しなくても可能であるとの認識を示しました。
確かに、今の憲法は「公共の福祉」に反しない限りにおいて、個人の権利を制約することを認めています。しかし、私も防衛大臣で自衛隊を指揮運用をしましたが、緊急事態における権限が憲法の解釈の幅が広すぎて、いざというとき、迅速で、適切な動きがとれません。必要最小限でとか、合理的判断でとか規定されても、現場の自衛官はその判断に困ってしまいます。
緊急事態は、世界各国にある国家の危機管理、緊急事態における非常事態を早期に解消するための法律であり、各国の憲法には、その手順が規定されています。『出きるようになっているのです』
なぜ、日本では、しっかりした強制的な措置ができないのかは、憲法に緊急事態や非常事態の理念と根拠になる規定がなく、解釈に幅があり、国民の私権や行動を制限する法案ができないからであります。
共産党や枝野議員は、今の憲法でも強制権がかけられるといいますが、法律にすると、公共の福祉に反しない必要最小限の範囲ときていされたら、法律を執行する総理大臣や都道府県の首長、自衛隊や警察官にとっては、その憲法の適応範囲がいかなるものか、迷うことによって、事態処理が後手後手になってしまいます。
感染症対策における私権制限が、公共の福祉の観点からどこまで認められるのかは明確ではありませんが、現在の新型インフルエンザ対策特措法改正の際に、民主党政権では、緊急事態に私権の制限をかけることは、頭から避けて、要請しても、強制力も罰則もなく、損失補償のいらない形だけの法律となっています。
国民は、この法律の欠陥に気がついています。2月にコロナウイルス感染が発生し、当初は私権の制限につながることを警戒して、慎重な適用を求める声が根強かったのですが、感染が拡大しするにつれて緊急事態宣言の強制力を求める声が大きくなり、今では「遅すぎた」との見方が大勢を占めています。
感染防止をしている努力を妨害する県外ナンバーの車やバイクを撮影してSNSに投稿する動きや、休業要請に応じないパチンコ店への批判、飲食店へのビラはり、パワハラや中傷差別など、中途半端な法律ゆえに起こりうる事象であり、はっきりと私権制限を認め、罰則規定と補償を追加する法改正をしなければなりません。
また、国家緊急権の行使としての『緊急事態基本法』は、2004年5月20日に自由民主党、民主党、公明党の三党合意により国会に提出しようとしましたが、未だに法案がまとまっていません。この緊急事態基本法では安全保障法体系の基本法かつ全体の危機管理のための法を包括した位置付けとして想定されており、国家安全保障基本法をめぐる議論とも関連し、きわめて重要な法案です。
この中で、緊急事態における国の役割は、国民保護のための方針を定め、警報を発令し、避難措置を指示するものとされており、強請措置や罰則、国会の関与においてまだ詰められてません。それは、解釈の幅があり、内閣法制局が直ぐに答えが出せませんで
やはり、日本国憲法を改正し国家緊急権を盛り込むか否かの憲法改正議論が必要です。
この緊急事態に接し、色々と問題も明らかになったにも関わらず、国会で憲法を議論しないことは、『国会議員の怠慢』であり、憲法審査会の場で議論して、改憲原案の国会発議に向けた環境を整えるべく力を尽くすべきです。
大事なのは、『対象や手順を具体的に想定』して、曖昧な前提条件で話を先に進める「ムード改憲」的な手法でなく、権限行使の根拠や手続きをどうするか、具体的に定義し、手順や国と地方の役割や責任分担を決めておくことです。
国会での憲法議論を進めるのは国民の声と力です。日本人にとって、国民主権の民意で新しい国作りをするためにも、皆様のご理解とご支援をお願いいたします。